由緒と歴史 歌

御由緒・歴史

聖徳太子の創建と伝わる。

その後荒廃したが、寛永12年(1635年)に 如雪文巖大徳、時に35才。普淳・智鏡惠海大徳の2名の律師を連れて同居するを中興とする。(この3名は江戸初期に起こった戒律復興運動の一潮流を担う大徳である)
その後、古義真言宗槇尾山西明寺(京都市右京区・弘法大師の甥・高弟である智泉大徳創建)の末寺として復興する。

三条・理慶尼、後水尾天皇の后・東福門院、五代将軍綱吉の母、桂昌院の庇護厚く、寺紋に菊の御紋を許される。

現在は高野山真言宗に属している。

〇御詠歌
雪霜に色たえ勝る岩松の調べや鷲の峰の山風

〇歌人・尾山篤二郎(明治22年~昭和38年)

花かげに立ちよりみればすがるらのうなりは籠る山茶花の花に
山茶花の花のかをりを聴くわれやまたく一人になりにけるかも
山茶花の高木のうれに日はあたりここより山はかぎろひて見ゆ
神輿草の花かなしらに咲きにけり山田のあぜに日はさし照りて
面白と遊行しありく山人のわれならなくに山に入りたり
南天の実のくれなゐに色させば日ごとに霜はふかくなりたり
あしびきの山ふところの谷なれば子供のこゑの四方にひびけり
百舌鳥つぐみ目白山雀四十雀頬白のこゑも今日ききにけり
ねて見れば横臥す山の起ちて見れば天そそる山の秋のいろかも